八仙とは?

中国ではポピュラーだけど、日本ではいまいちマイナーな八仙。
そんな彼らについて、簡単に説明してみたいと思います。
あくまで個人の趣味で調べているだけなので、至らない点も多々あると思います。中には間違いも含まれているかもしれませんので、お気をつけください。

※これ以上長くなると更に読みづらくなるため、脱線するような内容は脚注っぽいものにしています。むしろただの語りみたいになっているので余裕があればどうぞ。

八仙とは

簡単に言えば、中国では最も有名で人気の高い、8人の仙人のことです。
  • 李鉄拐(りてっかい)
  • 鍾離権(しょうりけん)
  • 呂洞賓(りょどうひん)
  • 藍采和(らんさいわ)
  • 長果老(ちょうかろう)
  • 何仙姑(かせんこ)
  • 韓湘子(かんしょうし)
  • 曹国舅(そうこっきゅう)

日本人にとっては馴染みが薄い方々だと思います。
では、七福神はご存じですよね?
八仙が日本に渡って来たのがこの七福神だという説があります。
渡って来る際、一人船に乗り遅れて(この乗り遅れた仙人は呂洞賓だという説も)、7人になってしまったとか[1]

みなさんが仙人と聞いて思い浮かべるのは、「長い髭をたくわえたおじいさん」かもしれませんが、実際にはおじいさんだけでなく、老若男女さまざまな姿をした仙人がいます。
八仙は特にバラエティに富んでいて、「男、女、老、少、富、貴、貧、賎」というそれぞれの代表を表しているとされ、誰でも仙人になれる資格があるとか。
八仙はそれぞれ「暗八仙」と呼ばれる神通力を発揮する法具を所持しており、彼らを象徴するものとして吉祥図案にも用いられます。
日本では「八仙」という存在自体はあまりメジャーではありませんが、図案なら中華風な置き物やお皿などでお目にかかることがあるかもしれません。

東遊記

この八仙を取り扱った中国の小説があります。その名も『東遊記』(橘南谿の紀行文でも漫画でもありません)。
中国四大奇書の一つ、『西遊記』はご存じのはず。
実はこの『西遊記』に便乗して、『東遊記』『南遊記』『北遊記』という作品が作られています。
この三作と、『西遊記』を簡略化した『西遊記伝』を合わせて『四遊記』といいます。

しかしこの三作は、『西遊記』と比べるとあまり面白くないようで、日本では流行っておらず、日本語訳も明治に翻訳されたもの(これは『東遊記』だけだが)[*]と、かなり前に出版され現在は絶版となっている、エリート出版社という所から出ているものしかない状態です。前者はともかく、後者のエリート出版社も中古で買うにしてもなかなか手に入りにくい[2]

日本ではこんな状況ですが、中国の小説史を語る上で重要だと言われる魯迅の『中国小説史略』にもしっかりと載っており、中国ではそれなりに知名度があるようです。
そして、『東遊記』に関して言うと、明代後期までは八仙のメンバーが固定せず作品によってまちまちだったのですが、この作品の成立後、今のメンバーに落ち着いたようですので、メンバー固定化の一端を担った作品として八仙を知る上では重要です[3]
また、『東遊記』には八仙が戦う場面も出てきますが、これが同じ「神魔小説」というジャンルの中でも『西遊記』『平妖伝』と並び有名で、民間信仰にも大いに影響を与えた『封神演義』(漫画とか講談社のアレンジ満載な訳じゃなくて中国古典作品の方です)にも影響を与えているようなので、そういう意味でも重要な作品であると言えます。

『東遊記』は、先述のように八仙が主人公の小説です。
『八仙東遊記』『上洞八仙伝』『八仙出処東遊記伝』などとも呼ばれ、成立は明代(万暦年間?)、作者は呉元泰であると言われています。全56回。
内容としては、まず八仙ひとりひとりの得道伝(仙人となったいきさつ)が語られ、途中、呂洞賓と鍾離権が地上の戦に加わって師弟対決する話[4]があり、そして最後に八仙がそれぞれが持つ宝物で東海を渡る際に龍王の一族と争う話[5]、という三部構成になってます。

この『東遊記』以外にも、『西洋記』[6]、『韓湘子全伝』[7]、『飛剣記』[8]、『八仙得道伝』[9]など、八仙が登場する小説があります。また、雑劇[10]や京劇、最近ではドラマなどでも、八仙を題材とした作品がたくさんあります。

各仙人について

神話伝承にはよくあることですが、例に漏れず八仙に関しても諸説あって、文献によって記述がまちまちです。なので、基本的には一番メジャーな説と思われる『東遊記』の記述をメインにまとめてみます。※今は基本的に『東遊記』の説しか書いていません
ここに書いてあるのは諸説ある中の一つですので、興味があれば他の説やエピソードについて調べてみるのもいいかもしれません。

※張果老の逸話については『東遊記』準拠ではありません。ネット上の資料などを元に書いたものなので、正確性に欠ける可能性があります。いずれきちんと書きますので、いましばらくお待ちください。

<李鉄拐(鉄拐李)>

姓:李
名:玄など
(「鉄拐」とは、彼の幼名であるとする説、足が不自由で鉄の杖をついていたためという説がある)
暗八仙:葫蘆(瓢箪)

八仙の中では(説にもよるが)おそらく最年長(『東遊記』では「八仙の筆頭である」との記述あり)。
もとはがっしりとした体格の道士であった。ある時、師の太上老君(老子)と宛丘子に従い修行するため、魂を遊離させ、彼らのいる華山へ行くこととなった。そこで、自分が帰ってくるまでの七日間の間、魂の抜けた身体を見守るよう弟子に言いつけ、もし七日経っても帰ってこなければ身体を焼くように言った。弟子は、最初はきちんと言いつけ通り見守っていたが、六日目に弟子の母が危篤との知らせを受けて、鉄拐の身体を焼き、母の元に行ってしまった。七日目に鉄拐の魂が戻ってきて身体を捜したが、既に焼かれてしまっていたため、仕方なく近くにあった乞食の遺体を借りて蘇生する。その際乞食が所持していた竹の杖を鉄の杖に変え、それをついている。
絵で彼がボロボロの服を着て、鉄の杖をついた足の不自由な物乞いの姿をしていることが多いのはそのせい。

<鍾離権(漢鍾離)>

姓:鍾離
名:権
字:寂道
号:雲房、正陽子
尊称:正陽真人、正陽祖師、正陽帝君 など
(漢鍾離は「漢の人、鍾離権」の意味。 実際は五代の人であり、「天下都散漢 鍾離(天下一の暇人、鍾離権)」と自称していたのが、「漢の人、鍾離権」になってしまったという説もある。)
暗八仙:芭蕉扇(死者の魂をよみがえらせることができる扇)
出身地:咸陽

もとは漢の将軍。
ある時、吐蕃が攻めてきたため、鍾離権は軍を率いて征伐に向かう。最初は善戦するが、このままでは俗世につかってしまうと恐れた李鉄拐が吐蕃軍に策を授けたため大敗し、命からがら逃げ延びる。落胆した鍾離権はあてもなくさまよい歩き、雑木林で座り込んでいると、一人の僧に逢う。僧に休める場所へ連れて行ってくれと頼むと、東華真人の屋敷に案内される。そこで長寿の秘訣や金丹の製法、青龍剣法などを教わった後、郷里へ戻る。
その後、兄である簡と共に修行のため、道中虎退治をしつつ華山へと向かい、そこで王玄甫、そして華陽真人から秘訣などを教わる。ある日、雲山に遊んだ時に神仙の秘訣を記した本を見つけ、それに従い行動した。すると玉帝の命により仙人の使いが迎えにやってきて、鍾離権は天へと昇っていった。簡も修行の後に得道し、迎えにきた鍾離権と共に天へと去っていった。
絵ではよく頭に二つのあげまき(子供の髪型)を結い、上着をはだけ太った腹を晒したものとして描かれる。

<藍采和>

姓:藍
名:采和
字:養素
(本名はこれではないという説もある)
暗八仙:花籠

その姿は少年や青年、女性といったさまざまな説がある(一般的には少年説がとられている)。藍采和という名前も、本名ではないという話もある。
破れた藍色の長衫に、幅三寸あまりの黒い木の腰帯を巻いている。片足には穴の空いた靴を履き、もう片足は素足であった。夏に上着の下に綿入れを重ね、猛暑の中遊びまわっても汗をかかない。冬には服を脱いで単衣になり、雪の中で寝ても、耳や口、鼻から吐く息は蒸気のようであった。
いつも市へ出ては長さ2尺余りの大きな拍板(拍子木)を手に持ち、酔っては踏歌(新体詩の一種)を歌い、老若男女はみなこれを見に行った。その歌は口からでまかせを言っているように思えるが、実は仙道の意が込められていた。しかしそれに気づく者はいなかった。彼の芸に対して銭が投げられると、縄で縛って持っていくこともあれば、そのまま放っておくこともあり、貧乏な人にあげたり、酒屋に与えたりしていた。度々天下を周遊しており、ある人は自分が子供の頃に見た彼と、白髪になって見た彼とでは、容貌や格好が全く変わっていないという(=いつまで経っても年を取らなかった)。後に李鉄拐と逢い、互いに道を論じ合った。
ある日、酒屋で飲んでいると、空中から笙蕭の音が聞こえてきて、舞い降りてきた白鶴に乗って天にのぼったという。

<長果老>

姓:長
名:果
(「老」は老人の尊称)
暗八仙:魚鼓(打楽器の一種)

絵では白い髭をたくわえた老人として描かれる。自称数百歳。その正体は白蝙蝠。堯(中国神話に登場する君主)のおつきだったとも称していた。恒州の中条山にこもり、いつも白い驢馬に乗っていた。
驢馬に乗る時にはいつも後ろ向きにまたがって乗り、一日に数千里を移動した。休むときには驢馬を紙のように折りたたんで箱にしまい、乗る時には水を吹きかけて驢馬に変える。
その噂を聞いた則天武后に招かれますが、山を出た所にある妬女廟の前で突如死んでしまう。死体はすぐに腐敗し、その報告を聞いた則天武后は招くのを諦めるが、後にまた中条山で逢ったという人もいた。
後に玄宗に招かれ、またもや死んでしまうが、玄宗の意を知ると息を吹き返し、朝廷に出仕することとなる(集賢院の銀青光禄大夫として仕官)。
ある時、玄宗に白髪で歯が抜けていることを尋ねられる。すると抜けば治るかもしれないと言って髪を抜き、歯をたたき割った。血で辺りが真っ赤になりますが(当然だ)、すぐに黒髪、白い歯が生えてきたという。
また、玄宗が娘の玉真公主を自分に嫁がせようとしているのを予言する、酒樽を童子に変えるなど、さまざまな方術を行った。食事は酒と丸薬だけしかとらなかったらしく、方術について問われると、いつもでたらめな回答をしたと言う。師夜光や和璞という方術を使う者達にも、正体を見定めることはできなかった。
またある時、玄宗は有名な道士である葉法善に張果の正体を問うた。すると「正体を話すと殺されるので、その後で張果に命乞いを行って欲しい」と言われ、玄宗はそれを承知する。そして、彼の正体は白蝙蝠の精であると話したかと思うと、葉法善は体中の穴から血を流して死んでしまう。玄宗は言われたとおりに張果老に命乞いをし、葉法善の顔に水を吹きかけると、すぐに蘇生したという。
その後、張果老が恒州に帰ることを願い出たため、玄宗はそれを許した。玄宗は天宝元年 (742年)に再び彼を召し出すが、急死してしまう。葬儀の後、棺桶を開くと死体は消えており、尸解仙になったと噂された。

<何仙姑>

姓:何
名:不詳(一説には瓊とも)
(「仙姑」とは女仙という意味の尊称)
暗八仙:荷花(蓮の花)
出身:広州増城県(現在の広東省増城市)、永州零陵県(現在の湖南省永州市零陵区)など諸説

八仙の紅一点。蓮の花を持った女性ないしは道姑(女道士)の姿で描かれる。
広州増城県の雲母渓にいた、何泰の娘。生まれた時には6本の髪の毛が生えていた。14、5歳のとき、夢に神人が現れ、「雲母の粉を食べなさい。そうすると身体が軽くなり、不死となるだろう」と言われた。言われたとおり雲母を食べてみると、確かに身体が軽くなった。その母は彼女が年頃であることを理由に婿をとらせようとしたが、彼女は結婚しないと誓いを立て拒み、母は結局強いることができなかった。その後、李鉄拐と藍采和に出逢い、仙人の秘訣を教わる。常に山谷を行き来し、その姿はまるで飛んでいるかのよう。毎日朝に出ては暮れに帰ってきて、山の果物を持ち帰り母に渡した。母が尋ねると、「ただ名山仙境へ行き、女仙と論じ合っているだけです」と答えた。成長すると、喋り方がおかしくなった。武則天はこのことを聞いて、使いの者を送り宮中に召し出そうとしたが、その途中忽然と姿を消してしまう。武則天は臣下に国中を捜させたが、結局見つけることはできなかった。景龍年間に、李鉄拐の導きによって仙人となる(同様の話が『羅浮志』に見られる)。
天宝9年に、麻姑と共に五色の雲の中に立っているのが見られ、大暦年間中に広州の小さい石楼にいるのを刺史の高皇が目撃し、それを朝廷に奏上したという。

豆腐屋の娘・何秀姑であるとか、見慣れない人から貰った桃を食べて仙人となった(『東軒筆録』に見られる。ここでは永州の出身とする。これを授けたのは呂洞賓という説もある)、鹿から生まれ、幼い時に何という道士に育てられたため姓を何とした(『安慶府志』より)など諸説あり、出身地共々一定しない(出身地と逸話の組み合わせの相違も見られる)。また、呂洞賓と恋仲という説もあるらしい(ソース未確認)。
暗八仙の荷花(蓮の花)は、姓の「何」と「荷」が同音であるため結び付けられたという。

<呂洞賓>

姓:呂
名:巖(巌、嵒、岩 とも書かれる)
字:洞賓
号:純陽子
尊称:呂仙、呂祖、純陽祖師、孚佑帝君 など
その他の号:回道人(「呂」を分解すると「口」2つとなるところから)
暗八仙:宝剣
誕生日:貞元14年(794年)4月14日
祭日:4月14日
出身地:蒲州永楽県(現在の山西省蒲坂永楽鎮)など諸説

八仙中随一の人気を誇る。
華陽巾(かようきん。道士がかぶる帽子の一種)をかぶり、道服を着て、背に剣を背負った姿で描かれることが多い。『東遊記』では鍾離権の師である東華真人の生まれ変わりであるとされる。
幼い頃から聡明で、仕官を夢見て科挙を受けるも落第。そんな中、酒場で鍾離権と出逢い、出家を勧められるが、出世への未練が捨てきれず断る。
鍾離権が黄粱を炊いている最中眠ってしまい、夢を見る。夢の中で彼は科挙に及第し、栄達するが、ある時失脚して左遷され、零落してしまう。
そこで目が覚めるが、まだ黄粱は炊けていなかった[11]。そこで彼は俗世の儚さを悟り、鍾離権に弟子入りを求めた。 そこで鍾離権は彼に10の試練を課し、その全てに耐え抜くことができたため、晴れて鍾離権の弟子となった。それからしばらく修行をした後、彼は仙人になった。
悪龍を退治したり、宋の徽宗の時代に宮中に現れた妖怪を退治したりと、「剣仙」として活躍する逸話がいくつも残されている。また、(房中術のためという名目で)妓女の白牡丹と戯れたり、鍾離権と師弟対決したりと、仙人らしからぬエピソードもある。

<韓湘子>

姓:韓
名:湘
字:清夫
(「子」は男子の尊称)
暗八仙:笛

唐代の文豪・韓愈の甥。笛を所持した青年の姿で描かれる。
繁華濃麗を嫌い、恬淡清幽を好み、美女や旨い酒、ごちそうに心を動かされることもなく、道の修行にあけくれていた。 叔父の韓愈が勉強するようすすめると、「自分が学ぶ所はあなたと違います」と言ったため、韓愈は怒り彼を叱った。
ある日、外へ出て道を求め師を尋ねようとしたところ、呂洞賓、鍾離権と出逢う。韓湘子は家を捨て、彼らに従い遊行し、得道する。後にある所で紅く熟した仙桃を見て、木に登りこれを取ろうとすると、枝が折れて地面に落ちてしまい、身体は死して屍解(身体を残し、魂だけが抜け仙人となること)した。
韓愈の誕生日、祝いの酒宴が開かれるが、突然そこへ韓湘子が帰ってきた。韓愈は喜ぶやら怒るやら、「お前は長い間外へ出ていたが、何を学んできたのか。試しに詩を一つ作り、お前の志を見せてみなさい」と言った。詠んだ詩を聞いて、韓愈はその一節「解して逡巡酒を造り、能く頃刻華(忽然と現れ咲く花)を開く」から、「どうしてお前は造化の権限を奪うことができようか」と言い、酒を造り花を咲かせるように命じる。韓湘子は樽を取り席の前に置き、金盆で蓋をする。しばらく経って開けてみると、美酒となっていた。また、土を集め小さな山を作ると、すぐに牡丹くらいの大きさの、美しい碧の花が咲いた。その花びらには、「雲は秦嶺に横たわりて家何(いず)くにか在る、雪は藍関を擁して馬進まず」と書いてあった。韓愈は読んでも意味がわからない。すると韓湘子は「月日が経てばわかります」といい、別れを告げると再び去っていた。
その後、仏教を好む憲宗皇帝が仏骨を宮中に迎え入れようとした時、韓愈がこれを諌めたため、皇帝の怒りに触れた韓愈は潮州(今の広東省潮安県)へ流されてしまった。その途中、藍関にさしかかった時に大雪に遭い、一歩も進めなくなる。そこに韓湘子が現れ、「あの花びらに書かれていた言葉を覚えていらっしゃいますか」と尋ねた。韓愈が「ここはどこか」と問うと、韓湘子は「ここが藍関です」と答える。韓愈は感嘆して、「そういうことだったのか。それでは、先日の句に継ぎ足して、お前に贈ろう」と、詩を作り彼に贈る(これが「左遷至藍關示姪孫湘(左遷されて藍關に至り姪孫湘に示す)」という、韓愈の有名な詩である)。二人は一晩藍関の宿にとまり、翌日、韓湘子は別れ際に「これを一粒飲めば、暑さ寒さを防ぐことができるでしょう」と言って韓愈に一つかみの薬を渡し、「あなたはほどなく都に戻り、つつがなく暮らすでしょう。そしてまた朝廷に召されることとなります」と言い、去っていった。

韓湘という人物は実在するが、彼は韓愈の甥ではなく、韓愈の甥・韓老成の息子である(実際、前述の「左遷至藍關示姪孫湘」の「姪孫」は甥の孫という意味であるが、『東遊記』ならびにこれと同様の記述がある『列仙全伝』などでは「猶子(甥)」という記述になっている)。『新唐書』によると、字は渚、大理丞という役職に就いていたという。つまり普通に役人となっており、仙人になったという記録も見られないようである。
前述の逸話は『東遊記』のものである(一部省略や呼び名の変更(韓愈は原文では「文公」)を行なっているが)。また、『列仙全伝』などにも同様の記述がある(というよりも、『東遊記』がこのような先行資料を元に書かれている)。
韓湘子の逸話は、『仙伝拾遺』(『太平広記』巻54「韓愈外甥」に引く)、『酉陽雑俎』(巻19「牡丹」)、そして『青瑣高議』(「韓湘子伝」)などに見られるが、細部が微妙に異なる。

<曹国舅>

姓:曹
名:友、景休 など諸説(『宋史』など、史実にあらわれる実在の曹国舅の名は)
(「国舅」は天子の外戚の呼称。当時の皇后の弟であるため、こう呼ばれる)
暗八仙:雲陽板(カスタネットに似た楽器)

北宋の仁宗の后(曹皇后)の弟。
弟が皇室の親族であることを笠に着て、人の道に外れるような悪事を働いていた。見かねた国舅がこれを諌めたが、弟は全く聞き入れなかった。そのため、国舅は家財を投げ打って貧しい人を助け、家を去り友と別れ、道服を纏い山中に隠遁し、修行をし始める。
ある日、呂洞賓と鍾離権がやってきて、「こんな所に住んで、一体何の修行をしているのか」と訊かれ、「他のことは何もしようとは思いません、ただこの道を修めようとしているだけです」と言う。「では、その道はどこにあるのか」と訊かれると、黙って天を指した。「それでは、その天はどこにあるのか」と畳み掛けられると、自分の心を指した。すると、二人は大いに笑って、「心はすなわち天、天はすなわち道である。お前は既に道が何であるかを知っている」と言い、彼を神仙の仲間に加えたという。

最後に

これで解説を終わりたいと思います。

前述の通り、日本では八仙の知名度は低いです。八仙の知名度というか、中国の文化についての理解自体があまり進んでないような気もしますが。
このページで少しでも八仙に、あわよくば中国神話というか中国の民間信仰に少しでも興味を持っていただけたらなぁと思います。『東遊記』自体は面白くも何ともないかもしれませんけど、八仙の面々は結構面白いと思うので。
……かくいう私もまだまだ初心者で、偉そうなことを言えるほど知識はありませんが。

あと、意外と「西遊記は日本のドラマや漫画しか観たことない」って人が多いんじゃないかと思います(ちゃんと読んだことあるよ、失礼な! って方はすみません)。
解説サイトからでもいいので、一度原作に触れてみてください。序盤の孫悟空が天界をさわがす部分など、日本の作品ではよく省かれているけれど中国では有名なエピソードがありますし、日本ではポピュラーな話だけど本来の西遊記とかけ離れた部分もあるので(沙悟浄が河童というのがいい例)。

ちなみに、某Wikipediaの八仙の記事(特に八仙の面々についてのページ、張果老を除く)を新規で作成したり編集したりしてるので、このページとWikipediaに同じ記述があるから大丈夫、と書いてあることを鵜呑みになさらぬよう。

脚注……というより無駄話

脚注と思いきや、ぐだぐだ語っているだけの雑文。お暇があればどうぞ。

1. 八仙が日本に渡って来たのが七福神だという説
七福神は仏教や道教、ヒンドゥー教などの神が入り交じって生まれたものです。また、最初は3人だったのが徐々に増えていき7人になったという説もあるため、八仙由来説に対して否定的な意見もあるそうです。八仙と七福神は単にコンセプトの似た集団と考えた方がいいのかもしれません。
2. エリート出版社
おそらくほとんどの方が初耳であろう、名古屋の出版社。上海の出版社との共同企画で、四遊記すべての訳本を出しています。ただ何故か『西遊記』は全4巻の中国漫画読物らしい(『東遊記』訳版にあたって より。『西遊記』自体は未読のため詳細は不明)。
このエリート出版社版『四遊記』、「幻の訳本」とか「もはや伝説と化した迷訳振りがマニアの心を揺さぶっている」(鍵屋の「西遊記」−小説篇 より)などと評されているように、どれもすさまじい本です。
他のサイトでも必ずといっていいほど言及されていることですが、本文の訳はいたって普通なのに、表紙や口絵、帯、巻末付録の漫画などの訳やキャッチコピーが酷い(機械翻訳と見紛う意味不明な文章で、思わず笑いがこみ上げてくるレベル)。
特に巻末漫画はセリフだけでなくコマ割りも独特で、読みづらいったらありゃしない。何とか解読してみましたが、どうも本編とは異なる説をもとに展開しているようです(例えば呂洞賓と何仙姑が恋仲だったり)。 そしてまたこの挿絵が更にシュールさを引き立たせているという。
本文は普通と書きましたが、所々誤訳が見られたり、そもそも元にした底本が何か書いていなかったりと、問題がないわけでもなかったりして。でも大幅な省略がなされていたり、大胆なアレンジがなされていたりするわけではないので(全部原文とつきあわせて確認した訳ではありませんが、確認した限りではそこそこ忠実な訳)、個人的にはまだまともな方だとは思うのですが。
そんな感じの本ですので、余計売れなかったのでは……。一応東遊記は明治にも翻訳なされているようですが、今までほとんど手をつけられていなかった四遊記の訳を出してくださった功績は称えられるべきですし、ネタとしては十分に楽しませてくれると思うんですけどね。キャッチコピーが意味不明で、何だかいかがわしい宗教な香りがするのが問題か。中身はそんなことないんですけど。いきなり得道伝から入るし、(神魔小説は大体そうですが)ある程度知識がないとわかりづらい部分もあるから、普通に面白い話を読みたい人にとってはつまらないかも。
南遊記に関しては、ありがたいことに翻訳を公開してらっしゃるサイトさんがあるのですが、これは珍しいケースです。労力もお金も非常にかかる作業ですので(きちんとしたものにしようとすると注釈も必要ですし)、致し方ないことですけどね。
3. 『東遊記』に関して言うと〜メンバー固定化の一端を担った作品として八仙を知る上では重要
同じ時代の他の文献でも同じ組み合わせが見られたり、他の組み合わせになっていたりするので、この頃一般的になりつつあった組み合わせのうち有力なものの一つを採用したにすぎない、との意見もあります(二階堂善弘『明清期における武神と神仙の発展』)。
4. 呂洞賓と鍾離権が地上の戦に加わって師弟対決する話
『北宋志伝』『楊家将演義』等にみられる、「楊家将」の故事とほぼ同じもの。というか『東遊記』は『北宋志伝』を簡単にしたものだと思われます(二階堂善弘『明清朝における武神と神仙の発展』)。
5. 八仙がそれぞれが持つ宝物で東海を渡る際に龍王の一族と争う話
この故事は「八仙過海」と呼ばれ、『東遊記』や『八仙得道伝』だけでなく、雑劇や京劇などにも同様の逸話が見られます。
また、これをもとにした「八仙過海、各顕神通(八仙海を過ぐるに、各(おのおの)神通を顕わす。「各顕神通」は「各顕其能」とも)」という諺があり、「それぞれが力量を発揮して物事に対処する」という意味でよく使われています。
6. 『西洋記』
正式名称は『三宝太監西洋記』。羅慾登作。明代の万暦年間刊。全100回。
明の宦官・鄭和の大航海が題材。鄭和は時の帝の命により玉璽を捜すため西洋へ向かい、それに同行する張天師と金碧峰長老が、道中たちふさがる術師達を倒していくという話。
この作品には有名な神々が登場します。中には、八仙のメンバーが一部異なる(張果老と何仙姑の代わりに風僧哥と玄壷子)など、今のメジャーな説とは異なる部分もあります。小説としてはあまり評価が高くないようですが、描かれている個々のエピソードは面白いようです。現在ではほとんど知名度なし。
7. 『韓湘子全伝』
『韓湘子十二度韓昌黎全伝』、『韓昌黎全伝』、『韓湘子得道』、『韓湘子』とも。柳爾曽作。全30回。
韓湘子が主人公。彼の得道伝を膨らませたもの。 霊霊小姐、白鶴、童子、仙桃と何度か転生を繰りかえし、最後に韓愈の兄嫁に投胎して韓湘子となり、やがて得道し、さらに伯父の韓愈を得道させるといった話。
8. 『飛剣記』
『呂純陽飛剣記』とも。凱志謨作。明代の万暦年間刊。呂洞賓が主人公。
火龍真人から雌雄の剣を授かり、退治を行うが、採陰補陽(いわゆる房中術)のため、良家の子女(『東遊記』では妓女)である白牡丹と戯れていることを黄龍禅師に咎められ、腹を立てて斬ろうとするも逆に雄剣を取り上げられ、雌剣を背負うよう言われる。
ちなみに『飛剣記』という題は、この雌雄剣が宙を飛んでいって敵を斬ることから。火龍真人から授かった際、何に使ってもいいが人を殺すことだけはできないと注意されている。黄龍禅師が剣を背負うよう言ったのは、背負った剣を抜く際に必ず首を通るため、人を殺そうとすると先に自分を傷つけてしまうため。
9. 『八仙得道伝』
『八仙得道』とも。清代に成立。全100回。
八仙の得道伝が中心。明代に成立した『東遊記』とは違い、八仙に関する清代に成立した戯曲や、「孟姜女」「宝蓮灯」「白蛇伝」などの説話を取り込みつつ、大幅な改変を行なっている(例えば、何仙姑は唐よりも前に生まれ、『東遊記』では登場していなかった逸話のいくつかに登場している)。
元々は「勧善」のために作られたといい(二階堂善弘『明清朝における武神と神仙の発展』)、あまり民間信仰には影響を与えていない模様。
10. 雑劇
宋代に始まり、元代に隆盛を極めた歌劇。特に元代の雑劇である元雑劇は、雑劇の代表とされる。これと同時代に隆盛した散曲をあわせて元曲と呼び、元代を代表する文学であるという。
八仙の登場する雑劇は、「爭玉板八仙過海滄海」「呂洞賓三酔岳陽楼」「呂洞賓度鉄拐李岳」「呂洞賓三度城南柳」「呂洞賓桃柳昇仙夢」「漢鐘離度脱藍采和」「陳季卿誤上竹葉舟」など多岐にわたる。八仙のメンバーが固定しておらず、何仙姑や曹国舅が抜け、徐神翁や張四郎が入っていることが多い。また、それぞれの逸話についても現在最も一般的な説と異なるものがある。
11. 鍾離権が黄粱を炊いている最中眠ってしまい、夢を見る。〜そこで目が覚めるが、まだ黄粱は炊けていなかった。
有名な「邯鄲の夢」(「邯鄲の枕」「黄梁の夢」とも)のアレンジ。今ではこちらの方が有名らしい(二階堂善弘『中国の神様 神仙人気者列伝』)。

書籍、リンク等

【参考文献】

『東遊記(八仙人神魔小説)』竹下ひろみ訳、エリート出版社
噂のエリート出版社版『東遊記』訳本。
二階堂善弘『中国の神さま 神仙人気者列伝』平凡社
中国の神仙について、簡潔かつ的確に解説した書籍。
二階堂善弘『封神演義の世界--中国の戦う神々』大修館書店
『封神演義』についての本ですが、明代神魔小説や中国の神仙についての記述があったので参考にさせていただきました。
二階堂善弘『明清朝における武神と神仙の発展』関西大学出版部
「八仙過海故事の変容」の章を参照。『東遊記』が参考にしたと思われる文献、「八仙過海雑劇」『東遊記』『八仙得道伝』の比較などもあり、大変参考になりました。
窪徳忠『道教の神々』講談社
道教とその神々についての解説。
『酉陽雑俎 3 (東洋文庫 397)』今村与志雄訳注、平凡社
『酉陽雑俎』巻19「牡丹」の項を参照。訳注には、『仙伝拾遺』(『太平広記』巻54「韓愈外甥」に引く。ほぼ完訳?)、『青瑣高議』「韓湘子伝」(抄訳)が訳されており、この三作における韓湘子の逸話の変遷が伺えるようになっている。
『中国古典文学大系24 六朝・唐・宋小説選』前野直彬訳、平凡社
『青瑣高議』「韓湘子の物語」を参照。
袁珂『中国神話・伝説大事典』鈴木博訳、大修館書店
文字通り、中国の神話や伝説についての辞典。分厚いが、かなり細かく載っている。今の所、何仙姑の項だけ参照。

【サイト】

八仙・二階堂研究室
中国の民間信仰について研究なされている、関西大学の二階堂善弘先生のサイトの1ページ。このサイトならびに先生の書籍にはいつもお世話になっています。
こちらのページには『東遊記』(第一回のみ)や『楊家将演義』の翻訳もあります。 >>翻訳コーナー
明代の神仙小説について(PDFファイル)
明代の神魔小説についての論文。『韓湘子全伝』『飛剣記』の内容を書くにあたって参考に。
訳注 魯迅「中国小説の歴史的変遷」(PDFファイル)
魯迅の講演を記録した「中国小説の歴史的変遷」の訳注。
東遊記 - 開放文學
いつもお世話になっております、中国の古典などが読めるサイト。中文繁字体です。『東遊記』の原文があるのでよく使わせてもらっています(リンク先もその『東遊記』の目次ページです)。一応底本についての記載はありますが、学術的に使うのならちゃんとした書籍や、きちんとしたデータベースサイトでないとダメなんだと思う。でも無料で読める上にラインナップが豊富なので、誤字に気をつけつつ趣味で見るには十分。ありがたや。
簫堯藝文網・全元曲
元曲のテキストが置いてある。中文繁字体。元曲の全てを網羅しているわけではないが、かなりの量の元曲を読むことができる。簡字体ならWikisourceなどにも置いてあるが、繁字体であるというのがありがたい。
Wikipedia
いわずもがな、誰でも編集が可能な百科事典サイト。参考文献に使用するのは賛否両論別れるところですが……。まあどっかの誰かさんみたいに素人が編集したまま放置とか普通にあるし、参考文献にしてはいけないという意見も判る気がする。とか言いつつ、八仙、張果老や七福神、年号のページなどをちょっと参考にさせていただきました。
燕京雑考 八仙
簡潔にわかりやすく八仙の面々の説明がまとまっている。
頤和園長廊物語 14
「八仙過海」故事についての説明が詳しい。
* 『続・日本SFごでん誤伝』第五章 東西南北孫悟空
エリート出版社版『四遊記』訳本について、面白くかつ的確に書かれている。
示姪孫湘 漢詩紹介<中国の漢詩>
韓湘子の逸話に登場する「左遷至藍關示姪孫湘」の詩について解説されている。
媛媛講故事・中国の神話と伝説
ここの「八仙人の伝節」では、他のサイトではあまり書かれてない説が書いてあることも。
風月沙龍
『南遊記』の翻訳を載せていらっしゃいます。短い話とはいえ、翻訳するにあたってなみなみならぬ苦労があったのではないかと思います。本当にお疲れ様です。件の翻訳は、 INDEX > 翻訳 > 南遊記 から。

【Special Thanks】

サイト解説当初から、ずっと八仙を扱いたいと思っていたのですが、なにせマイナーだし、まずは解説から入らないと……と思うとなかなか載せられませんでした。
そんな私の背中を軽く押してくださった、八仙仲間(って何だ)のnana緒様に感謝。
八仙の一人・韓湘子を主人公に同人誌を描いていらっしゃるので、興味があればぜひ。
サイト:四十二蝶 http://42tyou.dousetsu.com/
エリート出版社の『東遊記』の訳本をもとに、『東遊記』のレビューも書いていらっしゃるので、内容が知りたいという方もどうぞ。
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